Java に憧れて一応9年が経ちました

友人相手でもトラバ貼る勇気なんてまだ持ち合わせていない小心者ですが、ほ〜りぃのこのエントリに触発されて。
UNIXに触り初めて一応7年・・・だけど・・・。 - 帰ってきたHolyGrailとHoryGrailの区別がつかない日記
自分の Java に対する自分史でも書いてみようかと思います。

プログラミングを知った中学時代

小学校から中学校へ上がったときに一番気になるものといえば、やっぱり部活動だと思います。
あの頃の私は音楽に興味があって、実際エレクトーンなんかも弾いていたりしたので、吹奏楽部へ入ろうと思っていたんです。
ですが、部活動紹介のときにコンピューター部というものを知ってしまいました。
ちょうど、中学校へ上がったお祝いに親からパソコンを買い与えられたのもあり、迷わずコンピューター部を選んでしまいました。
買い与えられたパソコンは PC-9821 V166 だったのですが、部室にあったのは PC-9801 の何だったかはよくは覚えていませんが、Windows なんて乗ってませんでした。MS-DOS 6.2 くらいが乗っていて、黒い画面とにらめっこしたもんです。
入部したての頃は絵を描いたりしてテキトーに遊んでいたんですが、その冬頃から課題として BASIC プログラムを書かされることになります。
これが引き金になりました。自分が書いたプログラムでパソコンを操るという遊びが、とても楽しかった記憶があります。

Visual J++ 6.0 との出会い

中学2年生の冬、ふらっと暇つぶしに入った家電店で見つけてしまったのです。
Microsoft Visual J++ 6.0。
好奇心旺盛なその頃の私は「え、Javaってナニ!?」「なんか ++ ってついてるよ!?」「なんか面白そう!」という理由で、後日お小遣いを貯めて買ってしまうわけです。


しかし、結局 BASIC しか知らない中学2年生という子供です。
まったくわからず、インストールはしたものの放置するようになりました。
本も買ってみたんですが、まったくわかりませんでした。

Hot Soup Processor を知る

中学3年生になって、Hot Soup Processor というものを知ることになります。
BASIC のような簡単さで、その上 GUI プログラムが書けたので、私のプログラミング熱が再燃しました。
何個かプログラムを書いて Vector とかで公開したのも、今ではいい思い出です。

高専への進学と Java の再燃

その頃から自分の将来の職業はプログラマしかないと思いこみ始め、同時に高専という教育機関の存在を知った私は、迷わず高専へ進学することになります。
高専3年生の頃に Java 言語の授業が入ることを知り「これは再勉強しなければ!」と決意を新たにし、既にその頃には授業で C 言語をやらされていたこともあり、Java でプログラムが書けるようになりました。
卒業研究では、人工知能に関する研究室に入ったくせに Java で Web アプリを作るということもやっていました。
結局完成しなかったのですが。。

就職と java-ja

高専卒業後は大学へ編入すると決めていたのですが、4年生の頃に始めた家電店のバイトで働く楽しさを知ってしまい、就職の道を選ぶことになります。
そして某企業へ就職することになり、配属された先では「Java やりたいです!」と主張し、現在の部署に落ち着くことになりました。


その後は、ほ〜りぃから LL 魂に誘われてヨシオリに出会い、java-ja というものを知り、現在に至ります。

総括

文章書くのが下手なくせにこんな長文なんか書いて、なんだかなぁと自分で思いつつ。。
いろんな言語を知った今でも、自分の肌に一番合うのはやっぱり Java 言語です。
何でも Java で書きたがろうとします。そのせいで入社1年目の頃は上司に怒られました。でも、やっぱり Java が好きです。
私はこれからも Java を好きでいて、Java を書き続けるんだろうなと思います。
以上!